初めてドラッカーに触れたのは、20代初め。
会社の先輩から、これぐらいは読んどけよ、と言われ書店に向かったが、まるっきり歯が立たず、そっと棚に戻して店を出た(笑)
次に触れたのは20代後半。
管理職になって、リーダーシップとは、経営とは・・というテーマに向き合うことになったから。
春のある日、恐る恐る書店で手にした。
ん、少しわかるかも。
大事なことが書いていそうだ・・・と2冊買いこんで、枕元に。
しかし、仕事を終えた深夜、這うように自宅にたどり着いて、熟読するのはかなり苦痛で、1冊目を読み終えたのは、秋だった。
で、2冊目に移ったが、はて、1冊目から何を学んで、この2冊目でどう深めることになるのか?我ながら、さっぱり見えない。
どれぐらい両耳の間の財産が増えたのか、とそっと覗いてみたら、ドラッカーのドの字も残っていないことに気づき、愕然!
かくて、私のドラッカーの旅は、数千円の出費記録のみ、で終わりを告げた。
それから幾星霜、安藤さんとの不思議な邂逅で。みたび、ドラッカーに触れることに。
しかし、今度は、和訳版ではなく、さらにその要約チャート版。
なんと!これがわかり易い。ああ、難解だと思っていた理由は、あながち内容だけでなく、独特の文体について、その構文構造がわかっていなかったんだ!と気づいた。
チャート式に整理された論旨。<複雑な文章は、チャートなどの図式で!>は誰でも知っている原則だけど・・・
膨大な著作のドラッカーを、独りで、何万ページも!逐語で!一文一文!チャートに置き換えて。
気が遠くなる膨大な作業と費やされた時間とエネルギー。
心折れそうにならなかったのかなあ。
何のために誰のために?と疑問は湧かなかったのかなあ。
出来上がるかどうか見えないゴールを前にして、もうやめよう、と考えなかったのかなあ。
その凄さを想像すると、深い畏敬の念を禁じ得ない。
お陰様で、歯が立たなかったドラッカーの門前にようやく並べた、と感じた今日この頃である。